ずっと書けなかったオトノマチについて。
なんだかんだで、書くことが出来なかった。
オトノマチについて。
ここで、オトノマチのイベントについて振り返りながら、
自分の気持ちを整理したいと思います。
2011年、東日本大震災をきっかけに「何かをしなきゃ!」って
衝動にかられて動き出した人は多いと思う。
私の身近な人でもあふりらんぽのピカが33OSAKAをやったり、
橋の下世界音楽祭も震災がきっかけだった。
私も「何かしたい。」という思いが溢れ出して、それを自分がアウトプットする方法が
イベントしかなかったというのが大きい。
そして、今思えば「何かしたいの裏側」には大きな不安があって、
その気持ちを消化したいといいう気持ちがあったのではないかと思う。
その時の気持ちを綴ったブログを読み返してみると、
「あ~。なるほどな~」と思うことも多いけど(笑)
この時はこの時できることを一生懸命にやっていたんだなと思います。
そして、一年に一回やると決めて過去4回やってみて。
2014年にやった回で自分の中でこういった形でやるのは、
もう違うな。という気持ちが出てきて。
といか、2014年の回でちょっと自分の中で満足してしまって。
あとは、イベントではなく個人的に活動すればいいな。という気持ちになりました。
「音楽を鳴らして、旅に出よう。」
とサブタイトルで歌ったように。
私は音楽をきっかけに東北に旅に出かけて、復興という形をとることにしました。
みんなで楽しく、日常の中で無理なくやり続けなければ意味がないと思ったのです。
そして、橋の下世界音楽祭を手伝うようになり、イベントは断然こっちの方が復興の役にたつし。
と思ったのも本当のところです。
橋の下も5年目には復興もひと段落して、祭り自体ももっと緩やかな方に向いた気もしますし。
忘れないけれど、そればかりに囚われない。
そう言った考えになり、オトノマチというイベントは終了しようと思います。
この考えに至るまでに3年もかかってしまいましたが、
9月が近づくたびに「やらなきゃ」って強迫観念にとらわれてやるのは絶対に違うと思うし。
そんな思いでやっても一体誰のために、何のために?ということになり、
イベントをやること自体本末転倒だと思います。
柚木ミサトさんの
「すべての大人たちがすべてをのりこえて
こどもたちを守れるよう」
の絵に出会ったときの衝撃と衝動を忘れぬように、
自分ができることをやり続けて生きようと思います。
私にも守りたい子どもができ、ECDさんが自分は放射線にまみれても
福島の除去作業に行って子供たちを守りたいとラップしていた気持ちが痛いほどしみてきます。
すぐには変わらなくとも、死ぬまでに少しでも変わればなと思います。
色々書いてきたけれど、オトノマチはひとまず終了。
またなにか、やりたくなったらやりますよ。
オトノマチに携わって頂いたすべての皆様に感謝です。
ありがとうございました。
2018年 9月
龍宮ナイト
わかめ